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おやじの殿堂


ブリットなフットボールの生き様のステキな監督達
Sexy Football Managers (in terms of their lives)


Many people praise sexy and good looking footballers.
Then, how about football managers and coaches, as well, of course, not just their looks, but their lives?
If you cannot understand sense of humour (and tastes), please stay away.



注意:この写真を見て危険を感じた場合は、お引き取りください。


愛しのポール・マーソン様&イアン・ダウイー











ブリット・フットボール・シーンにはステキな監督がいっぱいいます。

そして、美中年コリン・リーにクリティカルヒットを食らって鼻血吹いたついでに


管理人乱心の元凶、ウォルソールのプログラムに載ってる監督コリン・リー近影。


更に鼻血を吹かせてくれたのは、その後リーを引き継いでウォルソールを指揮することになる、
ポール・マーソンの100万ドルの笑顔とスーパースターのみが持つあの大物オーラでした。

マーソンかっこいいんだよー誰も信じてくれないだろうけど自分だけだろうけど マーソン本当にかっこいいんだよー!!
・・・と、力説した所で、なんであのマーソン様がかっこいいのかは、
とにかく超一流のスターというキャリアと、選手誰もが「あんないい人はいない」と心酔するマーソンの性格(ホントです)が
醸し出すものが魅力になってるワケだと思ったのです。

外見は花園ではないかもしれない、でも、何か人を惹き付ける魅力のある、。

なんだかほっとけない魅力のあるステキな監督をステキだと言うページがもう一個くらいあってもいいじゃないかと思い、

・・・というのは、 建前で

推薦されながらも写真選考で花園落ちしたおやじの人生選考による救済ページ
です。

+ + + このページはリンクフリーです。オヤジ好きの集まる場所なら、どこでもリンクしてください。 + + +



注意

外見が男前なだけのおやじ

は、別ページのおやじの花園をご覧くださいませ。











殿堂ファイルその1




ゴードン・ストラカン

Gordon Strachan



Coventry City - Southampton - Celtic

Special Thanx to Japanese Saints
ゴードン・ストラカン、広岡達郎伝説

ギャリー・ブリーン証言
「コヴェントリ在籍時代、 ゴードン・ストラカンが食生活に留意した体調管理法を伝授してくれたことは本当に良かった。 ストラカンはバナナと海苔を食べて、健康に気を遣っていた。だから彼はあれだけ 長くできたんだ。僕も見習いたい」

きっとゴードン・ストラカンは、日本で監督してたら間違いなく 玄米食えと言っていたに相違ありません。

ジェイソン・ドッド証言
「自分がまだ現役続けられるのはゴードンのおかげ、彼が手本を見せてくれたから。 練習前24時間禁酒も厳しく守らせた

ますます広岡です。

しかし、更に広岡の上を行くストラカン。
Saints Diary5月21日より、
    ゴードンは2001年秋、選手たちに、フィットネスレベルをアップする厳しいトレーニングを課した。 そして結局そのシーズンは11位で終了。そしてオフが明け、 プレシーズンの合宿。スコットランド東岸でのキャンプでゴードンは、 選手達に海岸の砂浜を毎日何十キロも走らせ、 タイムが遅かった選手には罰としてさらなるトレーニングを課す、 という鬼のようなトレーニングをした。選手達から「地獄のスコットランドキャンプ」と言われている。 マースデンなどは、あまりにも辛くて逃げ出したくて「だれかここから自分をさらってくれ」と思ったそうだ。 しかし、その厳しいトレーニングのおかげで、セインツの選手はフィットネスレベルがアップし、 90分動きが落ちないチームとなる。そして、そのシーズンは8位で終了。 FA杯決勝進出まで果たしたのだ。
選手が逃げられない理由はここにある。→

「この写真の通り、練習の時選手の先頭を走る監督だから」である。

ちょこなんとした顔して、やるこたすごい。

ちなみに、某サンダーランドのミック・マッカーシーも代表時代から練習時 先頭を突っ走ってるので、選手は逃げられないらしい。














ゴードン・ストラカン、石井裕也伝説

もっと驚くストラカン伝説。驚愕のストラカン伝説はセインツさんに語って頂きましょう。
    「ところで、ゴードン、右目が半盲だったってご存知ですか?
    小学生の頃、仲間たちとの遊びのサッカーに加わった時、自分がまだ(教室で使ってた)ボールペンを手に持ってることを忘れて、 タックルを受けて転んだ時に、右目に刺さったのだそうです。
    今も、左目を閉じると、人の上半身だけぐらいしか見えないそうです。
    この事実は現役時代は隠し通したそうです、 「盲目のサッカー選手と契約したいクラブなんてあるわけないだろう?」と言ってました。」
距離感が命のスポーツで、片目が見えないということは、致命傷にもなりかねない。

その身体的ハンデを全く気づかせず、しかもあの160cmそこそこの 小さなからだでダンディーのユースで14歳から キャリアを始め、アバディーン、 マンチェスター・ユナイテッド、リーズ、コヴェントリと 20年、リーズ時代には1992年にPFA賞も受賞するなど、 トップ・プレーヤーとしてプレーし続け、スコットランド代表キャップ数50、 スコットランドのフットボール協会の 殿堂入りも果たしたゴードン・ストラカンという人は、まったく偉大なおやじである。
ゴードン・ストラカン、西本幸雄伝説

1957年エジンバラ出身。

監督としての評価もそれなりだが、最も評価されているのは、 解説者としての分析能力。

BBCのMatch of The Day2のレギュラー解説者として、 その確かでわかりやすい分析力、ウィットに富んだ会話で不動の名声を築き、 誰もが「最高の解説者」として名前を挙げていた人こそこの人。

多分監督の実績よりも解説者で名声を不動にした気配さえある。

なんかこの和む砕けた雰囲気、ユーモア溢れているのに、 わかりやすく適切な解説、そして長いものに 巻かれない態度、これは誰かに似ている・・・と、 はたと気づいたのは、西本幸雄御大ですよ!

西本幸雄さんが仮に48歳で監督やりたいって言ったらどの球団もオファー出すでしょうねぇえぇえぇ。

ちなみに息子のギャヴィン・ストラカンはハートリプール・ユナイテッドでMFとして プレーしていて、結構ガタイの大きくプレースキックの正確な選手です。







殿堂ファイルその2

スチュアート・ピアース

Stuart Pearce



Manchester City

Psycho went Mental

ロンドンのシェファーズ・ブッシュに1962年に生まれ、 QPRのトライアルを落とされ、ハル・シティのオファーしかなかった ピアースはしばらく考えた末、 電気工として、ノン・リーグの選手としてプレーする普通の生活を選んだ、はずだったが、 21歳、コヴェントリ・シティからの 突然のオファーでプロ入りし、その大抜擢に答えたピアースはレフトバックとしてのレギュラーを掴むと、 すぐにノッティンガム・フォレストの名将ブライアン・クラフの目にとまり、 ご存知のフォレストの黄金時代末期の中心選手として大活躍することになる。

フォレストで全く妥協を許さないスタイルはやがてフォレストの サポーターに「サイコ」と呼ばれだし、やがてイングランド代表に選ばれると 全英中でも、「サイコ」としてやがて呼ばれるようになる。

代表でも長きにわたり名レフトバックとして活躍するも、 1990年、ピアースに対しては最高の時と試練の時が同時にやってくる。

ピアースにとって最高の瞬間は、 左コーナーからのフリー・キックをとると、直にゴールマウスに叩き込むという オランダを撃沈した超美麗ゴールであったろう。

しかし、1990年ワールドカップ、対西ドイツ戦。

準決勝までのぼりつめたイングランドは、1-1の同点のまま、PK戦へと突入する。

クリス・ワドルがPKを決めた後、次はスチュアート・ピアース。

しかしピアースのPKはバーを大きく追い越してしまい、この失敗が 決定打となり、イングランドは決勝出場を逃す。それは、イングランドの悪夢だった。

更に1994年のワールドカップ、アメリカ大会予選では、ピアースの バックパスが元となってあのサンマリノに得点されるわ (その試合は7-1で勝ったけど)、イングランドはワールドカップ出場を逃すわ、 直後に骨折したためにグレアム・ル・ソーにポジションをとられるわ ピアースのイングランド代表の悪夢は続く。

しかし、1996年のユーロ96、対スペイン戦、再びPK戦にもつれこむイングランド。

会場は満場のウェンブリー・スタジアム。

そのとてつもない雰囲気の中、再び悪夢のPKがピアースにまわってくる。

誰一人としてワールドカップの悪夢を忘れてない人間はいない。

だが、ピアースは決めたのだ。

自ら全ての悪夢を払拭したペナルティ。

そのゴール・セレブレーションは、 「サイコが本当に発狂した!!」 と言われた程の凄まじいものだった(写真参照)

のちに、選手としては、ニューカッスル、ウェストハムを歴て、 マンチェスター・シティでキャリアを終える。
マンチェスター・シティ初の快挙

ケヴィン・キーガンがどうやら 「もう金で全ての夢のないプレミアはイヤだ」という理由で 突如マンチェスター・シティを辞任してしまった後、 ケアテイカーとして、2005年3月、マンチェスター・シティの 監督の職についたピアースは、 なんと就任以来6戦負けなし(リヴァプールに1-0、バーミンガムに3-0、 ポンピーに2-0、チャールトンに2-2、フラムに1-1、ブラックバーンに0-0、 ホームは全勝)、 4月度の最優秀監督賞に選出される。

しかも、これはマンチェスター・シティ監督として 初の快挙!を成し遂げてしまう。

そして正式監督に就任したピアースは、 ミドルスブラ戦で ゴールキーパーのデヴィッド・ジェイムズをストライカーに起用して しかもPKを稼がせてしまう (しかもジェイムズ、ボロのDFかわしてるし)という 前代未聞の選手起用を当ててしまうというセンスを見せ、 これからホントに楽しみな監督である。




殿堂ファイルその3









イアン・ダウイー

Ian Dowie



QPR - Oldham Athletic - Crystal Palace



兄のボブ・ダウイー(左)と同じ顔。

あぁ遺伝子ってコワイ。

(それだけかい!!)

*コメント、お待ちしております。
1965年生まれ、40歳・・・

えーと・・・・

元北アイルランド代表

えーと・・・・

ヘンドン→ルートン→フラム→ウェストハム→サウサンプトン →クリスタル・パレス→ウエストハム→QPRとまわったストライカー。

んで2003/04シーズン途中にオールダムやめてパレスの監督に就任すると、 降格争いに脚突っ込んでたパレスを建て直すだけでなく、 まぁ何やったかっつーとロングボールぽっかーんからパスサッカーに建て直し、 就任早々最優秀監督賞受賞の快進撃を続け、 まぁ7位までだろうと思ってた所、 ウィガン自爆にコベントリ伝統の確率変動による上位イヤガラセ等、 相次ぐツキを手に入れて 最後は国会で取り上げられた程の誤審@スタジアム・オブ・ライトで の助けもあって プレーオフ決勝へ、最後までツキ9割くらいでプレミア昇格 果たしましたよね。

管理人に今よっつくらい、やる気が見えませんか?

つーかCrystal PalaceをCheating Palarseと呼び、 SelhurstをHellhurstと呼ぶ管理人にパレスを語らすもんじゃありませんよ。(怒りフツフツ)

代わりに書いてやるという人募集中。




殿堂ファイルその4



ポール・マーソン

Paul Merson



Walsall











もう確信犯の酒飲みパフォーマンス












3部降格に涙
あーすかむのろくでなし

昔のアーセナルは、本気でロクでもなかったと思う。 アル中だけならまだしも、レイ・パーラーと一緒にピザハットで消火器ぶちまけだだけならまだしも、 殺人の前科(交通事故)の挙げ句実刑まで負っちまった最強キャプテン様がおわしたのだから、 現在、「昔のあーすかむ(Arscum)」に勝てるクラブはおるまい。

んでそのロクでなしの中でもトップクラスのろくでなしこそ、 アーセナルの9番様、ポール・マーソン様である。

さすがにあの中でも光ったろくでなしだけあって、 アル中ヤク中賭博中DVすべて兼ね備えた完全無欠の ろくでなしである。

ウォルソールに来てからやらかしただけでも、 一日で20Kばかりネット賭博ですってしまい、 賭博をやめさせよーとした嫁(3人目)を階段から突き落とし 大けがさせて警察にご厄介になったとか、 03/04シーズン途中、2月に突如「アル中治療行ってきます」と言い残し そのままばっくれてウォルソールを3部に降格させた戦犯は実はコレなんだが、 いい年ぶっこいてもまだコレである。 勿論アーセナル時代はコカインにアルコールで有名人。

しかし、フットボーラーの顔は、プライベートの顔とは違う。 マーソン様は、表向きはアル中吹っ切れたことになり、アメリカの病院から ウォルソールに帰ってくるや(ほんでいきなり嫁を階段から突き落とし警察沙汰だから 絶対治ってない)、選手兼監督に就任、ピッチ上で10人力のウルトラテクニシャンぶりを発揮して、 指揮官自ら全てを牽引する。

伝説のGK、ウォーカーの故障、唯一の優れたアタッカーといっていい ダレン・ラックの故障と絶望的な故障に見舞われながら、 マーソンは最後まで献身的に不屈の闘志を持って ピッチの上で一人でウォルソールを引っ張っていったのだ。

ウォルソールは会長がコリン・リーを解任しなければ 残留できたはずなのだ。リーの「2部でそこそこ使える選手の短期借り」の 手腕は今考えてみても素晴らしかったしね。 カール・ロビンソン(現サンダーランド)、ジェイミー・ヴィンセント(現ダービー)、 ギャリー・オニール(ポンピー)、クリス・ベアード(サウサンプトン)・・・

だが、サドラーズのファンも選手もマーソンと 一緒に降格することにたいしてはやぶさかではなかったのだ。

それはマーソンの誰よりも献身的なプレーが胸を打ったからに相違ない。

そのシーズン、最終戦、鬼神がかったマーソンが チャンスを作り続け若手がそれに答えるシーソーゲームの死闘の末、 サドラーズは引き分け、わずか得失点差1点の差で、 ジリンガムは残り、ウォルソールは降格した。

僅か得失点差1点で降格が決まった瞬間、マーソンは涙にくれた(写真)。

だが、降格決定と同時に、サドラーズ・サポはわれ先にとマーソン目がけてピッチ上に乱入して マーソンをねぎらいに行ったのだ。

ウォルソールでプレーしたことのある選手達は、 「マーソンってすっごくいい人なんだよ。ほんとにマーソンが 監督になって良かった」という。

そういえば、「ウォルソールのマーソン」に一度サインを貰ったことがあるが、 満面の笑顔で出てきて、ほんとうに、なんていうか、チャーミングな人なのだ。

つついたらどこからでもホコリのでる極悪男なのだろうけども、 所詮わたしたちが見ることが出来るのは、フットボーラーとしての姿である。 そして、「フットボーラー、ポール・マーソン」は、本当に素晴らしい人である。

相変わらずピッチに降りつつ監督をしているが、 現在のウォルソールの助監督はなんと、元ヴィラのフィジオである。コーチングのノウハウなんざ 知りゃしねえ。 「いいダチでアルコール問題の相談にのってくれたから」ってだけで 助監督。それでいいのか。それでいいのだ。ポール・マーソンなのだから。
お変わりなくお過ごしで

1968年ロンドン生まれ。16歳でアーセナルに入り、 29歳まで、13年間アーセナルでプレーした名ミッドフィルダー(右利き)。 88-89年、対リヴァプール戦で決めたゴールはそのまま アーセナルのリーグ優勝を決めるゴールとなり、その年 PFA最優秀若手選手賞を受賞、91年のリーグ制覇、93年のリーグカップ&FAカップ制覇、94年のヨーロピアン・ウィナーズ・カップ制覇に貢献。

しかし94年コカイン中毒&アルコール中毒を自白して大問題になり、 FAにアル中治療を言い渡されてからキャリアに陰が差し始め、 96-97に当時2部のミドルスブラに4.5Mで売却されてしまう。しかし、 マーソンはボロの昇格に貢献、更に「唯一の非1部のイングランド代表」として ワールドカップ98にも出場する。

98年、アストン・ヴィラに4Mで移籍。この頃のテクニシャンぶりを覚えている人は多いはず、ですが、最後の方はベンチで、 そのままフリーで追い出された形でしたね。 ただこの頃、ベンチでマーソン様はただ酔っぱらっていたのではない。 ヴィラ人脈を着々と築いていき、 この時の人脈が今のサドラーズ監督業の基本となっていたのである。・・・たぶん。

02-03にポンピーに結局フリーで移籍するも、 やっぱり相変わらずアル中ながらも圧倒的なテクニシャンぶりを発揮、 ポンピーはハリー・レドナップ指揮下でDivsion1優勝、プレミア昇格を果たすが、 ポンピーの最優秀選手こそ、ポール・マーソンであった。

そして03-04、ウォルソールに移籍。

サドラーズ移籍初戦、開幕戦、ブラック・カントリーのローカル・ライバル、 WBA相手にあわやハットトリック(一本はポストに当たった)の 2ゴールを挙げ、華々しくウォルソールでデビュー。

ややパスの精度が鈍ってきたものの、 テクニシャンぶりと優れた戦術眼はお達者もいい所である。

そして、相変わらずアル中の賭博中。











Red'n'White Armyに逃げる




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